「孫が、あなたは有名人だって言うので、これにサインしてやってくれませんか?」
と、航空券を差し出してお願いしました。
ロジャー・ムーアは快諾して航空券の裏にサインをしたのですが、ヘインズさんはそのサインを見て顔を曇らせました。
憧れの人がサインしてくれたのに、どうして顔を曇らせたかというと・・・、
そのサインが《ジェームズ・ボンド》ではなく《ロジャー・ムーア》だったからです。
そうなのです。ヘインズ少年は、ロジャー・ムーアがジェームズ・ボンドそのものだと思っていて、ロジャー・ムーアという名前すら知らなかったのです。
ヘインズ少年はサインの名前が違うと祖父に訴えました。すると、孫が可愛い祖父は、またもやロジャー・ムーアにこう言いに行きました。
「孫が言うには、サインの名前が違っているそうで。あなたの名前はジェームズ・ボンドだって言うんですよ」
一瞬で事を察したロジャー・ムーアは、ヘインズ少年を手招きして呼び寄せると、身を屈め、左右に視線を走らせてから、彼の耳元でひそひそ声でこう言ったそうです。
「私は《ロジャー・ムーア》という名前でサインしなければならないんだ。ブロフェルド(007に敵対する悪役の名前)に居場所がバレてしまうかもしれないからね。お願いだから、ジェームズ・ボンドを見たことは誰にも言わないでおくれ」
〈そういうことか・・・〉
ヘインズ少年は事情を理解し、「わかりました」と返答すると、ロジャー・ムーアは彼にありがとうという意味の無言の礼を返したといいます。
ヘインズ少年は007といっしょに任務を遂行しているような気分になり、心臓がバクバクしたまま祖父のところに戻りました。