作家としての地位を確立したジュペリは、もはや生活のためには軍人でいる必要はなく、家族は命の危険がある空軍を退役するようにジュペリに懇願しました。ですが、ジュペリは首を縦には振らず、飛行機乗りでいることに固執しました。その理由をジュペリはこう言いました。
「空に出て、陸に戻ってきたときにぼくは何かを発見し、それを本にしているのだから」
家族の危惧は的中し、ある偵察任務の最中にジュペリの飛行機は失踪し、それきりジュペリが帰ってくることはありませんでした(>_<)
ジュペリは数々の言葉を残していますが、その中にこういう言葉がありました。
『ぼくは、あの星のなかのひとつに住み、そのひとつの星のなかで笑うんだ。だから、君が夜、空を眺めたら、星がみんな笑ってるように見えるだろう』
まさにその言葉を実践したかのようなジュペリの失踪でしたが、それから50年後に、地中海でジュペリが乗っていた飛行機が引き揚げられたのです\(◎o◎)/
すると、そのニュースを見た当時88歳の老人になっていた元ドイツ軍パイロットのホルスト・リッペルトさんが、
「彼を撃墜したのは私です・・・」
と名乗り出たのです。
その記事。
しかも、ホルストさんはジュペリのファンで、彼の乗る飛行機を撃墜した数日後に、自分が撃墜した飛行機に乗っていたのがジュペリだと知り、大いにショックを受けていました。そしてその事実を、戦後もずっと言わずにいたのです。
ホルストさんは人生のゴールが見えてきた歳になり、墓場までその秘密を持っていくのが憚られたのかもしれませんし、真実を吐露しなければ・・・という罪の意識にずっと苛まれていて、ジュペリの飛行機が見つかったのは天から与えられた機会だと思ったのかもしれません。
ホルストさんは事実を公表し、そしてジュペリの